雨の中、時の止まった飲茶屋へ〜「陸羽茶室」
香港最終日の今日。今日の夕方のフライトで、いよいよ私たちは日本に帰る。
……んが、今朝は朝からどしゃぶりだった。まだこの時点で把握はしていなかったのだけれど、香港ここ20年来の巨大台風が直撃しようとしていたのだ。だが、そんなこと知ったことではなかった当時の私たちは、いそいそ着替えて最後の食事の場所「陸羽茶室(Luk Yu Tea House)」へ最後の飲茶を堪能しに向かったのだった。
「陸羽茶室(Luk Yu Tea House)」は中環(Central)にある。
「店員がたまらなく無愛想で"旅行客はお呼びじゃないのよ"という感じ」であるとか、
「英語で予約しようとしたら"はぁ?"みたいな事を言われてガチャ切りされた」であるとか、色々逸話に溢れる店だ。が、5年前にもやはり帰郷直前にここの飲茶屋に来た私とSちゃんであったが、大層楽しく、お店の人も親切だった。美味しかったし。確かに常連を大切にしているという雰囲気は感じられる。だからあえて朝や昼の繁忙期は避けて、午前9時半という予約をしてみたのだった。しかも予約はホテルのコンシェルジェを通すという念の入れようだ。
地下鉄1駅分乗り、最寄りの出口から雨の中に抜けて歩くこと数分、5年前と変わらぬたたずまいのお店が目に入った。外も変わってないが中身も変わってない。入口に大きなターバンを巻いたインド人のおっちゃんが立っているのも変わらず、だ。
枯れ枝のようなおっちゃんたちと、更に年月を経て妖怪のようになったおばちゃんたちが給仕する飲茶店。テーブルにはスタンプを押す紙が置かれ、プーアル茶もやってくる。おばちゃんたちは、歩いているのか止まっているのかわからないようなゆっくりした所作で「ハーカゥシュ〜マイ♪」「チャ〜シュ〜……パォ♪」と独特の節をつけて歌うようにしながらアルミの台に蒸籠を乗せてやってくる。その動きはおばちゃんたちの回りだけ時計の針が数倍遅く進んでいるんじゃなかろうかと思えるほどスローモーだ。
「見せて見せて」と蒸籠の中身を見せてもらって、欲しかったらその場でもらう。おばちゃんはテーブルの紙にスタンプを押す。いらなかったら身振り手振りで「ごめん、いらない」と意思表示。
「5年前と少しも変わってないなぁ……」
と呟くと、だんなは
「違うよおゆきさん。きっと何十年も変わってないんだよ。」
と言っていた。それはそうかもしれない。
点心類は、昔ながらの素朴な様相、という感じ。どこか温かみのある、お茶と似合うものばかり。問題なのは、そのおばちゃんらの言ってくれてる品名がさっぱりわからないものが多いこと、だろうか。「ニャウニャム、パイ〜♪」と言われて「チャーシューパイ!?」と取ってみるとジャムみたいな味の甘いパイだったり(これがまた妙に美味しかったけれど)する。
小さな皿に3つ、ごろんごろんと大雑把な形で盛られるのが海老団子。蝦餃の中身のような、海老ごろごろの団子はシンプルな塩味だ。ねっちりした生地にプリプリの海老が混ぜられていた。
チャーシューパイに似た外見のパイは、コロッケのような具が詰まっていた。だが、甘い。お菓子だかお菓子じゃないのか、ちょっとわからない甘さのある芋っぽいパイ。薄い透ける皮に包まれた餃子は香菜の香りが強く漂ってきた。中には肉のあんがたっぷりと。素朴な味のする排骨蒸しには花巻をちぎったようなものがころころと添えられ、「こんな不揃いでいいのか!」とツッコミたくなる蛋撻もまた、しみじみしちゃうような懐かしい味がするのであっ
た。
わざと数個の点心を残し、「ダーパオ」とお願いする。
持ち帰って、空港か日本か、とにかくどこかで最後の堪能をしようというつもりなのだった。発泡スチロールの容器とビニール袋を持ってきてくれて、それに自分で詰め詰め。
ほとんど賭をしているように美味しそうに見える品々を取ってるうちに、すっかり満腹だ。時間はまだ10時。
だが、私たちはこの後のどたばたぶりをこの段階で知る由もなかったのだ。
中環「陸羽茶室(Luk Yu Tea House)」にて
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海老団子 叉焼飽×2 牛肉団子 あんかけ海老団子(のよーなもの) コロッケ(みたいな味の)パイ 甘いジャム(のよーなものが挟まった)パイ 排骨蒸し 香菜の香りの薄皮餃子 蛋撻 プーアル茶 | ![]() |
計HK$359.70 |
上環、水没
食後、「日本にオヤジの店の蛋撻を買って持ち帰ろう」だとか、「義妹へのお土産を"Shanghai Tang"で買っていこう」だとか、色々な計画を立てていた私たち。
んが、外はあまりにも土砂降りだ。だんなの持っている折り畳み傘1本じゃ、いかにも心許なかった。近くのセブンイレブンでHK$60もしたロゴ入り傘(香港の人、不思議とセブンイレブンの傘を多く持っている。緑とオレンジと白の、あの店の色使いの傘をさしている人を良く見かけるのだ)を買い、それをさしつつ駅に向かう。
まだ午前10時、ここいらの店はやっていないから地下鉄1駅乗って「上環(Sheung Wan)」の乾物屋街で自宅用とだんなの実家用に干し貝柱でも買おうという算段だった。
途中、トイレに寄ったビルで、だんながちょっと脅えた声を出した。
「おゆきさん……今日の警報、"レベル8"だ……。」
香港では、日本で言う「強風波浪注意報」だとかの警報をレベルで示しているらしい。そしてその警報レベルは、大きなビルやホテルの入口にわかりやすく掲げられるのだ。滞在中、「1」や「3」は何度か見ていた。しかし……「8」って、なんだそりゃ。それだけ風雨が強い、ということだろうか。
「ま、土砂降りだしねー」
と言った私の考えは、まだまだ甘かった。レベル8は、そんな生ぬるいもんじゃなかったのだ。
地下鉄に乗って「上環」へ。トラムの線路と平行するように、乾物屋ばかりを売る店が軒を連ねている。周囲は坂が多く、乾物屋街は坂の一番ふもとにある格好だ。
地下鉄を降りて、いざ外に出ようとしたときに、「あ、もう買い物はダメだな」と悟らざるをえなかった。
上環が、水没している。

もう膝くらいの高さまである泥水の中、おっちゃんが「しょーがねーな、もー」という感じにズボンを濡らしてじゃぼじゃぼと歩いていた。コンビニはやっている。んが、他の店はもうシャッターを固く閉ざしているのだった。坂下にあるこのエリアは良くこういう事態になるのか、大体の店は階段を数歩上って店、という作りになっている。地下鉄の入口もちょっと高いところにある。んが、道路周辺は見事な水たまりになってしまっているのだった。こりゃ、すごいや。
「上環はもう、ダメダメ〜」
ともう一度「中環(Central)」へ戻る。時間はそろそろ11時。開き始めた店も多いことだろう。
んが、中環もまた、その店はほとんどが閉め切られている。ショッピングモールなども開店する時間だろうに、ブランドショップも銀行も、シャッターは閉ざされたままだ。当然「Shanghai Tang」もやっていない。街が眠ったままの状態を見て、やっとこの時点で「もしかして今の天候は相当ヤバイ?」と理解しはじめた私たちだった。
ホテルのあるエリアに戻ると、やはり昨夜はあんなに活気のあった「太古廣場(Pacific Place)」内の店も軒並み閉店しているのであった。もう買い物どころの騒ぎじゃない。這々の体で部屋に戻るべくホテルの中を歩き、途中の売店で「今日はすごいね、店、やってないね。」とだんなが話すと
「だって当然じゃない、レベル8よ〜」
なんて返事がおばちゃんから返ってくるのであった。レベル8、おそるべし。
で、部屋にて本日の「South China Morning Post」など読み、事態の把握がやっとできた次第なのであった。
20年来の巨大台風が、今まさに香港の横を翳めようとしている。風速60km/hの台風が、今日の朝に再接近する(した)らしい。キャセイのパイロットは「ここ20年で最強の台風だよ」と断言し、昨夜から離発着に欠航が相次いでいるそうだ……って、私たちのフライトは一体どうなっちゃうんでしょうか。
とりあえず荷物をスーツケースに詰め込みつつ、
「いや、まず無理だよねぇ〜、いやぁ、しょうがないよねぇ〜。」
と何故か顔がニヤけてしまう。不測の事態であれ、滞在が1泊延びるのはとても嬉しいことだった。
「無理よ、無理無理〜」
と「飛ぶな、無理するな、キャセイ!」と心中台風に声援を送りつつ、それでも一応インターネットに繋いでホームページの情報を確認したり、キャセイの問い合わせデスクに電話してみたりもした。どうやら、午後4時のフライトは予定通り離陸の予定であるらしかった。……ちぇ。
レベル8からレベル3へ
お店もどこもやっていないんじゃ仕方がない。
荷物の準備をした後は部屋で少々のんびりし、午後1時過ぎにホテルをチェックアウト。ホテルからは無料のシャトルバスで香港駅に向かい、「AIRPORT EXPRESS」に乗って空港へ。シャトルバスは、滝の中のような土砂降りの中を進んでいく。途中何度か立ち寄った各ホテルでは入口に土嚢を積んでいたりして万全の体制を整えており、バスは時折数十センチは深さがありそうな水たまりの中をばしゃばしゃと潜ることになった。台風、最後の猛威という感じだ。
それでも、香港駅のカウンターでチェックインをし「AIRPORT EXPRESS」に乗り込んだ頃には警報がレベル8から3に下がっていた。見ると雨も隨分と勢いがなくなっていた。食欲魔人の神様が、「まぁもう1泊、していけよ」と言っているような気がしたのに、やっぱり日本へ帰らなければならないようだ。
空港につくと、「午前8時発のフライトは午後6時に振り替え」などという表示が各所で見られた。午前中の便は、ほとんどが何らかの変更を強いられたようだ。予定通り発てるだけ、もしかしたら幸せなのかもしれなかった。
出発予定時刻まで、あまり時間はない。それでも出国手続きを済ませた後にあるセルフサービス式の軽食コーナーで、ついつい最後のマンゴプリンを堪能してしまう私だった。
そして中華な機内食
ほぼ時間通りに飛行機の入口ドアは閉められ、それから15分ほど止まったままの後にやっとゆるゆると飛行機は成田に向けて飛び立った。
何度か不安げにガクガク揺れつつ、それでも数十分後には揺れもおさまり、いつもの機上、という感じだ。
キャセイでは、昨年末から「Best Chinese Food in the Air」なるサービスを実施しているらしい。香港内の中華料理店各店に協力を依頼し、機内食で旨い中華料理を出そうという試みだ。今月は「川淮居」という四川料理のお店のものであるらしい。メイン料理は牛肉か鶏肉か。鶏肉を選ぶとこのお店の「大千不辣子鶏配白飯及小棠菜」になるらしい。ここは当然鶏肉だろう。
白ワインを貰ってクピクピ飲みつつ、機内食で最後の中華料理。
鶏肉を唐辛子や筍と共に煮込んだような、柔らかい辛さがピリピリくる肉料理は、長い米の飯と青菜炒めつき。機内食の中ではかなり美味しい部類だった。トレイにはきゅうりの入った鶏肉のマリネのサラダと日本蕎麦(なんで日本に行き来する便の中ではいつも日本蕎麦なのか……)、パンも乗っている。思いの外美味しかった機内食にちょっと満足。
そして、息子のチャイルドミールは今日も魅惑的だ。
コーンの入ったミートソーススパゲティにポテトサラダと茹で卵。チョコレートケーキとパンとバター。バーベキュー味のポテトチップスの小袋つき。ジュースは「維他」のマンゴージュース。行きも旨そうだったチャイルドミールは、帰りもやっぱり美味しそうだった。
食事時間に眠りこけてて「せっかくのチャイルドミール、食べられないか〜?」と一瞬危惧したものの、ちゃんと途中で目覚めて息子はチャイルドミールを堪能していた。ヘッドホンをつけて音楽を聞いてみたり、テレビ画面を出してアニメを見てみたり、トイレに行ってみたりと彼なりに「空の旅」をエンジョイできたようだ。
そして勝手にランキング
飛行機は、予定を30分ほど過ぎただけで、無事に成田に到着できた。山のような、40kg超過のスーツケースを2個抱えて、家に戻る。
機内で暇つぶしに、「どこの店が美味しかったか不味かったか」をランキングして遊んでみた。遊び半分だけど、こんな感じ。
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友人から「せりあちゃん、食べ過ぎ」と、義妹から「いっくらなんでもマンゴプリン食べ過ぎじゃねぇ?」などとメールまでもらいながら食べまくった6日間、それでも私たちは
「あうあう、"夏宮"も美味しいんだってよ」
「こ、今度は"嘉麟樓"であわびのステーキを食べてみたい……」
「いやいや"凱悦軒"でパパイヤ入りフカヒレスープも飲んでみなければ……」
と次なる旅に心寄せてしまうのだった。今度は上海蟹の季節もきっと楽しい。そう思いつつ、とりあえず今回の旅はこれにて終了。