騒音トラブル

1月5日、窓ガラス割られる

西に玄関が向いた部屋が4つ、その上階に同じく4つ、そしてそれらの部屋と背中合わせの形で東に玄関が向いた部屋が1階と2階に4つずつあるという"1棟16軒"という構造の、我が家が住む住宅。1階の隅に住む我が家は、お隣さん1軒と背中合わせの家1軒、上階の家1軒の合計3軒が隣接していることになる。玄関が隣であるJさんは顔なじみで、会えば必ず挨拶するし野菜なんかもお裾分けしあう仲。上階には一人暮らしらしき男子学生くん。あまり顔を合わせることはないし昼間は家を空けていることが多いけれど、夜にはドスドス歩く音やら何やらが上階から聞こえてくるし、友達も頻繁にやってきている感じ。「おーおー、元気じゃのー」と思っていた(うるさいと思うほどでもないし)。
で、背後の家は、いつもひっそりとしていた。ダイニングとバスルーム、ベッドルーム内のクローゼットの壁が隣接しているので、お隣さんより我が家に接する面は広い。玄関が反対方向を向いているので、7月に引っ越してから1月に至るまで、誰が住んでいるのかもわからなかった。

息子を入浴させていると壁がガンガン叩かれるようになったのは、引っ越し直後すぐからだ。引っ越し直後は慣れないユニットバスに息子が脅え、入浴時に泣いてしまうことが何週間か続いた。多分その声があちら側(背後の住宅側)に響いてしまっているのだろうと思い、申し訳なくも思ったけれど、入浴中ずっと泣いているというわけでなく、息子が泣くのは頭を洗い流すせいぜい30秒ほどだ。それでも息子が泣くとその10秒後くらいにはダイニングの壁のあたりから「ドガガガガ!」と壁を叩いてくる音がする。毎日というわけでなく、最初の頃は1週間に1度くらい。そして息子がすっかり泣かなくなった頃からも2〜3週間に1度、入浴時に限って「ドガガガガ!」と壁は5度ほど連打されるのだった。

謎なのは、それが"特にうるさい日"に限ってというわけじゃないということ。息子がちょっとはしゃいで笑い声を出してしまっても叩かれない時も多くあるし、いつもより静かなくらいなのに突然「ドガガガガ!」とやられることも少なくなかった。時間帯も、バラバラだ。午後10時過ぎの入浴でも何事もなかったり、逆に午後8時半の入浴でも壁が叩かれる時は叩かれる。
私も日本の家で、隣人が発する騒音に悩まされた事がある。風呂の窓を開けっ放しで午前1時頃に大声を出したり笑い声をたてながら入浴する親子が隣家におり、何度も隣家の風呂場と隣接する我が家の風呂場から「うるさい!」と言ったことがある。我が家はそこまでの非常識な音は出していないはずだった。大声をわざと出すことはしていないし、ただ「頭洗いますよー」「はーい」なんて会話をしているだけだ。それすら響くというのなら、入浴時はひそひそ話の音量にしなければならなくなる。

そんなこんなで数ヶ月、1月5日の夜だった。時刻は午後9時過ぎというところ。
我が家もちょこちょこ旅行に行ったりしていたこともあり、ここしばらくは「ドガガガガ!」にもご無沙汰していた。だんなと息子はいつも通り入浴中。居間にいる私の元には「次は身体洗うからねー」「はーい」なんて音が水音に混じって微かに聞こえてきていただけだった。いつも通りだ。
そこに、久しぶりに「ドガガガガ!」が。しかも今日は心なしか「ドガン!ドガン!ドガン!ドガン!」といった感じの強めのものが。
壁叩きのみでコミュニケーションをとってくる隣人の思惑が、我が家にはさっぱり不明だった。隣人の地雷を踏むスイッチがどこにあるのか皆目検討もつかない。そして我が家はいい加減イラつき始めていた。
「わ・かっ・て・る・よ!」とばかりに壁を叩き返すだんな。私は私で息子の声の20倍量ほどの音量で
息子の声の20倍量ほどの声で
「文句があるならちゃんと言ってよ!フザケルナ〜!」
と"ドガンドガン"な壁の方向に向かって叫んでしまった(←日本語で……)。

あーもー、やってくれたよ1分後。
でかい石がベッドルームの窓に投げつけられた。
角部屋であるベッドルーム、"背後の家に近い側"の窓に投げられた石で1枚のガラスがほぼ全損し、破片が部屋の内部に飛び散った。

だんなと息子は入浴中で、私は居間にいた。怪我人はいなかったが、ブラインドを下ろしていた窓だったので誰かの姿を見ることもなかった。私はすぐに玄関を飛び出し、現場側に向かうのは少々危険かと思いそちらは行かず、同じ棟(我が家とは対角線上にあたる裏の角部屋)に住む管理人のおばあちゃんのところに駆け込んだ。玄関の窓の電気はとっくに消えていたけれど、
「ハロー、ハロー、すみませーん」
とドアをコンコン叩き、おばあちゃんに出てきてもらう。おばあちゃんの家の前でつたない英語を駆使して
「たった今、家の窓が割られたの。誰かはわからないけど、その直前に背後の家に壁をドンドン叩かれて、うちもそれに対して……」
と説明を始めたところ、まさにその"背後の家"から女性が一人出てきた。こちらに向かってくる。

金髪の白人女性、年齢は我が夫よりちょっと上、というところだろうか。ショートヘアでちょっと神経質そうな顔立ちではあるけれど、気弱そうにも見える人だった。その人を間近で見たのはこの日が初めてだった。それまで、女性が住んでいるのか男性が住んでいるのかすら知らなかったのだ。
「すごい音がしたけど、何事かと思い……」
だそうである。今まさに壁をドンドン叩き合っていた家同士だというのに、そのことについては何も触れない。どころか
「裏にお子さんが住んでいるのは知っていましたし、うるさいと思ったことなんてないですよ。それに壁なんか叩いたこともない」
と言ってくる。現場に全員で移動し、私がガラスを片づけるために家にひっこみ、だんなが管理人のおばあちゃんや背後の家の住人と話をした。

今日のところの結論は、"通りがかりのいたずらかもしれないしね"ということに。警察を呼ぶべきではと私もだんなも思ってはいたけれど、管理人のおばあちゃんが
「私が何もできないのに、警察はもっと何もできないわよ」
と警察を呼ぶことについてはあまり良い顔をしなかったので今回は警察沙汰にはしないことに。このおばあちゃん、なんだか色々とおっそろしい人で、彼女に逆らったら住人はこの住宅に住んでいられないような感じの人なのだ。夫が所属する研究所のスタッフたちも「ああ、あのおばあちゃんがそう言うなら呼ばない方がいいかもね……」と納得してしまうような、そんな人なのだった。"魔女みたい"とか"魔法使いみたい"なんて表現している人もいる。

かくして、管理人のおばあちゃんは窓をすぐに取り替えることを約束してくれ、その日はそれで終わった。
翌日の午前中にはガラス屋さんがやってきて、新品のガラスに取り替えてくれた。しかし、背後の家の人。
「うるさいなんて思ったこともない。壁を叩いたこともない」
なんて言ってたけど、そうか、それでは遠慮なく声を殺さずに入浴しましょう生活しましょう、という感じ。
だんなは「あの人が石を投げたようにはとても見えない」と言う。私は「あの人なら投げかねない……とは言わないけど、同居している血の気の多い男性か子供かをかばってそんなことを言ってるんじゃないか」と思っていた。間違いなく、背後の住人が窓割りに関与していると、そう思っていた。

1月23日、怒鳴りこまれる

窓割り事件から3週間。一度だけ、入浴中に壁を「ドゴン!」と一発だけ叩かれた。やっぱりその壁を響かせるその音と振動は、上の家や横の家からではなく、背後の家からでしかありえない場所から響いてくる。そして平穏な生活がとりあえずは戻っていた。

1月5日と同じ頃合、午後9時過ぎ。その日は私と息子が入浴していた。息子はご機嫌でニコニコ笑っていたけれど、「キャー!」なんて言うこともなく、「おかーさん、自分でからだ、洗ってもいーい?」なんて言葉しか発していなかった。ただ、ご機嫌なあまりに浴槽の床を5〜6度ドンドンと踏みしめてしまい、すぐに私に「それは、やめな」と止められていた。"騒音"って……(それを騒音と仮定したくないけど仮定すると)3秒くらい?

シャワーのみの入浴時間はせいぜい10分弱というところ。息子を先に出し、私も出ようとしたところ、壁ではなく玄関方面から「ドガガガガ!」という音がした。ドアのノックの音に聞こえるけれど、ドアのノックの音というものは大抵「コンコン」とか「ドンドン」と聞こえるはずだ。「ドガガガガ!」なんてノックは、普通やらないだろう。
バスタオル一枚身体に巻いてバスルームのドアに隙間を作って、玄関に立って応対するだんなの様子をうかがうと、どうも背後の家の住人のようだ。友好的な態度には見えない。私と息子が入浴していたタイミングを考えると、騒音で怒鳴り込んできた、というところだろうか?いや、でも今日は全然うるさくしてない……どころかいつにも増して静かとも言えるくらいだったのに。

3分ほどで彼女は去っていったが、やはり要件は「うるさい」という事だった。対応しただんな曰く、
「うるさいの。”一日中”(←"all day long"とか言っていたので多分そうだろう、と)、壁を蹴る音とか叫び声が聞こえるのよ。貴方がたはうるさくしているつもりはないかもしれないけどね、でもね、うるさいの!」
とそりゃもうすごい形相でまくしたてられたのだそうだ。

「うるさいなんて思ったことない。壁なんて叩いたこともない」
って言った数週間前のあの言葉は、それではなんだったんだろう。
その時に
「そうね、確かにうるさいと思ったことはあるし、特に入浴中の音がうるさく聞こえるから壁を叩いたこともあったわ」
なんて言ってくれれば、せっかく顔を合わせた良い機会(?)でもあるし、「そうでしたか、それでは気を付けます」とかこちらも言えたはずなのに、彼女の舌の根はここ数日の寒さですっかり乾きまくっちゃったということなんだろうか。大体、うちでは壁を蹴ったりはしない。自分が壁を叩くからって一緒にしないで欲しい。
もう、さっぱりわけがわからない。度を超した神経質?ちょっと精神的にごにょごにょ……とか?
私もだんなもこれではっきりと、「ああ、石を投げたのはこの人本人だったんだ」と確信するに至った。

困った時には管理人さんへ。
翌朝、だんなは早々に管理人のおばあちゃんに相談しに行った。あのとき、全然うるさくないって言われていたのに突然昨日怒鳴りこんできたんだよ、と。更に、細かな話はさすがに自分たちだけではつらいので、だんなが所属する研究室の日本人スタッフMさん(Mさんはおばあちゃんと長きに渡っての知り合いである)にも協力してもらって話を聞いた。
幸いなことに、管理人のおばあちゃんは圧倒的に我が家の側の味方になってくれるようだった。
おばあちゃんは、だんなのおばあちゃんと同い年なのだそうだ。それを知った時に「貴女は僕のおばあちゃんと同じ年なんですよ」とだんなが話してからというもの、彼女はなんとなく「あの一家のおばあちゃん代わりになってあげなくちゃ」とでもいう感じにあれこれ世話をやいてくれている。曾孫の写真なのよ、と息子とさほど年が変わらないであろう可愛い女の子の写真も見せてもらったことがある。

「私から話しておくから、あんたたち一家は何も気にせず、いつも通り生活してなさい」
とのこと。更には
「次に怒鳴り込んできたら、ドアを開けちゃダメだよ。放っておきなさい」
だそうだ。
背後の住人は、その女性1人だけらしい。夫も子供もおらず、どころか恋人すらいないような状態で十数年仕事ばっかりやってきたような人なのだと、管理人のおばあちゃんは言っていたそうだ。だから子供がいる家というものの想像すらつかないんだろう、と。しかも、確かにちょっと神経質なところがあるのだと、おばあちゃんも把握していたらしい。"警察を呼ぶな"は、その人が石を投げたのだとおばあちゃんが見抜いた上で、証拠もないし本人も否定してるしとおばあちゃんが判断した上でのことだったのかもしれない(単にめんどくさかっただけかもしれないけど)。

もう1つ、わかった。背後の住人は夜10時頃に床に就くのが常らしい。寝ようとしている時にこちらが入浴したりしていたので、一層カンに障っていたのかもしれなかった。それならそれで、壁ドガガガ叩いたり石投げたり怒鳴り込んだりする前に、顔を合わせた時にでも(窓割りの件で顔を合わせてからは、集合ポストのところで何度か会ったりはしていた)
「私、10時頃にはいつも寝てしまうの。だから入浴は早めにしてくれると嬉しい」
と言ってくれれば彼女が一番不快な時間にはこちらも静かにしていようという対処も取れると思うのだけど。アメリカ人が"言いたい事ははっきり言って、後はカラリとしている"という気質の人が多く目立つ中、正反対な人もいるのだなぁとある意味感動してしまった。

Mさんがかけた電話の向こうで、おばあちゃんは
「あの一家、いい一家じゃない、ねぇ?今度、後ろの人がまたうるさく言うようだったら"じゃあ、あなた、どこか別の家を探す?"って言ってあげるわよ」
と言ってくれたのだそうだ。「警察よりも怖いおばあちゃんに、また随分と好かれちゃったものねぇ」とMさんは笑っていた。けど、この住宅に住むにあたってこれ以上ない味方だというのも事実だ。今回ばかりは、おばちゃん&おばあちゃん受けの良いだんなの特質がつくづくありがたく思われた。
これで終われば嬉しいけれど、まだ何か続いてしまいそうな予感。(←続きませんでした。ほ。)